伝統
−シズ様編−



 私の名前は陸、犬だ。
 白くて長い、ふさふさの毛を持っている。
 いつも楽しく笑っているような顔をしているが、別にいつも楽しくて笑っている訳ではない。
 生まれつきだ。
 シズ様が、私のご主人様だ。 
 いつも緑のセーターを着た青年で、複雑な経緯で故郷を失い、バギーで旅をしている。
 そして私は、シズ様と共にある。


 ある時のこと。
 私達は、深い森に覆われた山のふもとにある、小さな国にたどり着いた。
 シズ様が、城門を叩き、詰め所の門番に入国と滞在の許可を求めた。
 伝統がありそうな礼服にヘルメット姿の番兵は、私たちが初めてこの国を訪れることを知り、これ以上ないほど嬉しそうな顔をした。
 番兵は電話でどこかと話す。
 すると、ほどなくして城壁の中から打ち鳴らす鐘の音が聞こえ出した。
 シズ様が、何のための鐘ですか?と聞くと、

「めったにいらっしゃらないお客様のご到着を、国中に知らせているんです。歓迎の準備のために」

 と、番兵は笑顔で答えた。
 やがて城門が開いて、シズ様はバギーをゆっくり進めながら中に入っていった。
 内門をくぐると、大勢の住人が出迎えてくれている。
 そして、シズ様も私も黙った。
 住人は、リンゴ≠頭に載せていた。
 頭の真上に一個のリンゴ。
 それは、とてもバランス良く載っていた。

「いらっしゃい! 旅人さんに犬さん。我が国にようこそ!」

 リーダーらしい壮年の男が、そう言って代表でシズ様に握手を求めてきた。
 彼の笑顔の上、きっちりと固められた頭の上には真っ赤に熟れたリンゴ≠ェ載っていた。


 自己紹介をしたシズ様と私は、国家元首という赤いリンゴを載せた男に案内されて、城を利用した執務室に案内された。
 お茶を出した、青リンゴを頭に載せた秘書の女性が去って、男は簡単な国の説明をした。
 大昔に、とある王家の避暑地として城と街が造られたこと。
 その王家がどこかで滅んだ後も、住人はこの地で繁栄を続けているということ。
 人口は少ないが、とても平穏に暮らしていること。
 そして・・・大昔からの伝統で、住人は頭にリンゴを載せて生活していること。

「これを載せることによって、自らに程よい緊張感を与え、常に美しい姿勢を保つことができるのです。それに、人前でリンゴを落とすという行為は、とても失礼で恥ずかしい行為となるので、誰がどんなに激しく怒っても、拳を振り下ろして相手を傷付ける・・・というようなことはできません。昔の人が考え出した、健康を保ち人間関係を円滑にする手段です。素晴らしい伝統です」

 男はリンゴを落とさないよう注意しながら熱く語った。
 髪型を変える時や、寝る時など、ごくわずかな例外を除いては、住人は常に頭にリンゴを載せている。
 部屋の壁には古そうな油絵が飾られ、裸の女性が頭にリンゴを載せて優雅に微笑んでいた。
 男が聞く。

「シズさんも陸さんも、せっかくいらしたのですから、我が国の伝統に触れてみませんか?」
「どういうことですか?」

 シズ様が聞き返すと、男は机の下から、辞書ほどの大きさの箱を取り出した。
 開けてシズ様と私に見せる。
 中には、男が載せているリンゴとほぼ同じものが二個入っていた。

「シズさんと陸さんに差し上げます。みんなが載せている中で、シズさん達だけが載せていないというのも居心地が悪いと思います。御滞在中いかがでしょう? 最初はバランスを取るのに苦労するかもしれませんが、すぐに慣れますよ。もちろん、決して強制などいたしませんが……」



「だいぶ慣れてきたな」

 シズ様は言った。
 入国二日目の昼下がり。
 シズ様と私は頭にリンゴを載せながら、ゆっくりと狭い街並を見学していた。
 シズ様愛用の刀以外の荷物は全て、タダであてがってもらった部屋に置いてある。
 子供達が、シズ様を見つけて手を振ってくれた。
 全員の頭に、少し小さめのリンゴが載っていて、やはりとても上手くバランスを保っていた。

「旅人さーん、簡単でしょー?」

 無邪気に聞いてきた。
 シズ様は昨日一晩かけて、バランスを取る練習をしていた。
 食事とお茶をごちそうになった店では、黄リンゴを載せた恰幅のいいおかみさんに、

「あらーあんた、整ったいい顔してるわね。リンゴ載せてますます格好いいわよ。ワンちゃんもね」

 とても嬉しそうに言われた。
 城の造りを見学している時には、小さな子供に指をさされた。

「ママ。あの人も、わんこもリンゴ載せてる。同じだねー」

 母親は、あの人は旅人さんなのよ。生まれた国が違うのに、私達と同じにしてくれてて、嬉しいわね。
 そう言って穏やかに子供に微笑みかけた後、シズ様にリンゴを落とさない程度に軽く会釈をした。
 通りでシズ様に話し掛けてきた初老の女性は、リンゴを載せているシズ様を見て、自分の孫と見合いをしてくれないか、と言った。
 シズ様は困っていた。

「リンゴを落とさず、いかに優雅な動きをしながら生活を送れるかによって、その人の魅力が変わるんですよ。私も若い頃は、そりゃもう一番素敵に見えるように、毎日鏡を見て研究をしたものですわ」

 と話し、そしてもう一度、ひと目でいいから孫と会ってもらえないか、と聞いた。
 シズ様は言葉を選びながら、丁重に断った。

 その日の夜。
 旅人歓迎のお祭りが開かれた。住人が、伝統的なリンゴ踊りを披露してくれた。
 人々が輪を作り、片手にリンゴを持ちながら、ワルツのような音楽で優雅に踊る。
 楽しそうに見ていたシズ様も、参加を勧められた。

「…あまり踊りに自信はないのですがせっかくですので、参加させてもらうことにします」

 シズ様は、リンゴを片手に輪の中へ入っていった。
 そして、ひとしきり踊ったあと元首の男に、

「伝統とは、いいものですね。本当にこの国に来てよかったと思います」

 と、笑顔で話した。



 翌朝。
 シズ様と私は多くのリンゴ載せ住人に見送られて、出発した。
 バギーが見えなくなって、元首の男は嬉しそうに、頭からリンゴを取った。
 他の住人も、解散しながらリンゴを取っていく。
 男の側に秘書の女性が来て、リンゴを受け取った。彼女もリンゴを取り、回収箱≠ニ書かれた網籠に入れた。
 女性が、嬉しそうな顔をした男に言う。

「見事でしたね。引っかかりましたね」
「あぁ、見事だったなぁ……。状況終了の鐘を」
「手配いたしました」
「これで、五百四十九勝二百三十二敗だな。私の任期中では三勝七敗か……。ここ数年の旅人は、周りに流されない人が多いだけに、あそこまで真剣に真似をしてもらえると嬉しいし、やりがいがある」
「そうですね」

 男も女性も目を見合わせて微笑んだ。



 森の中の道を、バギーは走っていた。

「伝統っていうのは本当にいいものだな、陸」

 シズ様は笑顔で言った。

「ええ。小さい国ではありますが、あれだけの人数が短期間で練習し、一致団結して一つのことを行うのは、かなり難しいことだと思います」

 私は答えた。
 すると、シズ様が不思議そうな顔をして私を見る。

「……まさかシズ様、気が付いておられないのですか?」
「何を?」
「いえ、何でもありません」

 シズ様は前に向き直ると、もう一度、

「うん。本当に伝統とはいいものだな……」
 と、感慨深く言った。



「実はもう、今度は何にするか決めてあるんだ」

 執務室で、元首の男がいきなり言った。

「え? どんなものですか?」

 秘書が聞き返して、男は少し微笑みながら、

「付け耳≠ウ。陸さんを見て思いついたんだ。いや待てよ……」

 男は少し悩むと、

「犬耳≠謔閾猫耳≠フ方が愛嬌があるか……よし! 次は猫耳生活≠ノしよう」

と、手を叩いた。

「そうと決まれば、早く準備と練習をしないとな。絵も描き変えて、猫耳踊りも作らなければ・・・」
「すぐに手配いたします」

 秘書は男が言い終わるか終わらないかのうちに、執務室を出て行った。





 そして、モトラドに乗った黒髪の旅人がやって来るのは、それから半年後のこと……





 END










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-コメント-

ここまで読んで下さり有難うごさいました。
伝統を読んだ時から書きたいと思っていた話なので、形にできて本人は満足です。
果たして、シズ様は気付いていたのか? いなかったのか?
ご想像にお任せします。
ちなみに勝手な設定として、陸は元首の男が、
「犬耳生活も良いな・・・」と呟いているのを聞いて気付きました(笑)
背景用のリンゴ写真素材探しが楽しかったです♪

*華瑠波*